食物アレルギーっ子の日々のあれこれ

エピペン携帯マルチ食物アレルギー高校生を持つ、小中高大家庭科講師。教育現場と食アレッ子家庭の架け橋・サポートをしたいと食物アレルギーに関する活動をしている。息子が小さい頃はお米・麦茶を含む15種類以上のアレルゲン有。アレルギー専門医の指示の元、経口免疫療法を実施中。

誤食事故② 園での誤食事故(卵) 当日~15日後までの母の考え

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『誤食事故を受けての保護者の思いを知りたい』とのご要望を頂きました。

講演会用にこの記事をアップしますが、事故に関する記事は非常にデリケートな話になります。ご自身の判断の元、そのことをご承知置き頂きお読みくださればと思います<(_ _)>

 

 

以下は、事故発生15日後に自分の気持ちを思うがままにwordに起こした文書をコピペしたものです。

私が『自分がどうしたら良いのか、どうしたいのか、どうすべきなのかわからない』というようなことを夫に言ったら、『思っていることをそのまま文字に起こしてみたら』と言われ書いたかと思います。

 

事故当日~15日目までの思いをwordにぶつけながら書いたので、非常に言葉が激しい(公の場で使ってはいけない言葉を使っています・・・)ですし、文章自体もおかしい所がありますが敢えてそのまま載せます。

 

 

  • 園長先生ですら、『もうあんなことは起こらない大丈夫だ』と根拠の乏しい過信が事故2日目に既にあり、怖くて息子を登園させられない。その過信が事故を生むのに。事故翌日の連絡帳に『どなたが配膳したのか、明らかに目に見える炒り卵だったのに、なぜ気づかなかったか、担任4人もいるのに発疹に35分も気づかないのはなぜ?』と母は書いた。それを見た園長先生は電話をくださった。その会話の中で園長先生は『私もそれが(35分気づかなかったこと)不思議で』とのんきにおっしゃって驚いた。責任者が被害者の家族に言う言葉ではない。おかしい。『おかあさんの気持ちを思うと・・・』などもおっしゃって頂き、謝罪の言葉も沢山頂き、何度も頭を下げて頂いたが、事故2日目の3日(金)の話し合いの中でご理解頂いていないことがよくよくわかり、理解していない上での中身のない言葉だけの謝罪だけを私は真に受けていたかと思うと、情けない、悔しい、悲しい。園長先生と会うことを考えるだけで無理。
  • なぜあの時クラスの責任者である、××先生はいなかった?他のお子さんについていたようだが状況を判断し、他の先生に代わるなどして息子につくことが出来たのに。何のための責任者?正職員なのか。事故2日目の3日(金)の話し合いの中で、『他に不安はないですか?』とおっしゃったが、あまりに信じられない言葉だった。自分の子があんな目に遭って不安がないはずがない。やはり事の重大さを理解していない、考えが甘いと感じる一言だった。謝罪の言葉も園長先生同様、理解していない上での中身のない言葉だけの謝罪だったとわかり、たまらなかった。
  • 事故2日目の3日(金)のドクターとの面談の中で、『園の先生方から沢山の謝罪があっただろうし反省会も何度もして・・・だから許してあげてください。』というような内容のことを言われたが、もし自分の子が同じような目にあってもそう思えるのだろうか。エピペンを持つことも『お守り』だからとおっしゃったが、医療関係者ではない私にしたらエピペンを持つということはただのお守りとは思えない。足かせにしか思えない。
  • 今回のことは謝れば許されるようなことではない。あってはならないことが起こったのだから・・・沢山謝ったから、頭を下げたから、土下座したから、反省会したから、掲示物貼ったから・・・親としては、だから何?状態。だから許せ、なんで許してくれないのか、ただのクレーマーなど思われるのも悔しい。子供が命を失うかもしれない事態だったのに、一部の先生を除いては、他人事だということがよくわかった。先生方は、自分の子供が35分間も死ぬ可能性がある毒を食べさせられ続けて、許せるのか?信頼できるのか?
  • 3日(金)帰り際に「電話するな」と母は言った。前日の××先生からの電話も謝罪から始まり謝罪に終わり・・・というかんじで、中身のない謝罪なんていらない。謝らなくていいから、息子を2月1日給食前の状況に戻して。それが出来ないなら謝らないで、中身のない謝罪はたまらない。時間は戻せないのだから、余計みじめになる。失ったものの大きさをますます痛感して、私はおかしくなる。全てを放り出したくなる。
  • 私は今普通ではなく、自宅で今まで大丈夫だった食事で自分が作ったものでも息子が何か口に入れる度に怖い。ましては自分の見ていない所で、息子が何かを口にするなんて、今は考えられない。到底無理。事故翌日登園させたのは、一番きつい目に遭った息子が園に行きたいと言い張ったので行かせた。母は自宅にいて時計が11:45になって給食が始まったと思い、恐怖感を感じた。恐くてたまらなくて近くにいないと!!と必死の思いで車に乗って園に向かっていた。もうあんな思いはしたくない。無理。あれから10日以上経つのに、時計をふと見たら11:45(給食が始める時間)で、恐くてたまらない。
  • 卵黄の自宅での負荷試験、食アレのドクターは1週間お休みして1/4量から始めてくださいとおっしゃった。9日(木)再開予定だったが怖くて仕方なくて、朝しようと思っていたのに→昼こそしよう→夜こそ・・・と一日悩んで結局夜まで出来ず。翌日10日(金)にやっと覚悟を決めて、夫がいる朝のうちに1/4、何事もなく大丈夫で心底ほっとした。
  • 3月8日(木)の病院での卵白負荷試験までに卵黄丸々1個摂取して大丈夫にならないといけないので、プレッシャー。
  • あの日帰宅後、息子に卵食べた?と聞いたら「たまご、いたいいたいなった」と言った。卵を食べたことで大変なことになったのは理解していたが、それが卵黄なのか、全卵なのか、そこがわからなかったようだ。今の息子に求めるのは無理な話だが、普通の子なら給食で卵は出ないはずなのに!と自分で気づいて先生に言えたはず。今回のことで食物アレルギー以外の病気を同時に持つことのきつさをまた改めて痛感した。息子よりアレルギーが重いお友達でも一般の幼稚園に行っている・・・卵とわかっていて食べた息子にも、わかっていたならなんで!と失ったものの大きさを考えると八つ当たりしてしまう自分が、もっと嫌になる。自宅で卵黄の負荷をしているのが仇になったとも思える。しかし、卵黄の負荷をしていなかったら、卵黄と卵白の2つを初めて一気に体内に入れることになったので、ショックで本当に死んでいたかもしれないと思うと、たまらない。
  • 情けないが、症状が出た時の様子の息子が夢に出てきたり、思い出しては涙がぽろぽろ出てきて睡眠も安定せず、夜中突然目覚めてあの場面がパッと浮かんでは涙が止まらない。自分でも自分がおかしいとはわかっているがどうしようも出来ない。あの場面が蘇ってきて、教室も怖くてたまらなくて無理。入れる自信がない。普通でいられる自信がない。事故翌日・2日目に教室に入ったが、あの時の私はあまりの出来事に感覚が麻痺していたのか、壊れていたのか、よくわからない。 
  • 配膳の際気づかなかったこと、食べ始めて35分も気づいて頂けなかった誤食の件も衝撃だったし、先生方との話し合いの中でのご理解のなさに更に衝撃的だったし、このまま園を辞めたい気持ちもある。息子の自立のことを考えると行かせるべきだが、命を賭けてまで行かなくていいという気持ちもある、命あっての自立なのだから。
  • 例えが悪いが、毒入り給食を食べさせられて掲示物貼ってチェックするから大丈夫と言われても、到底信じることは出来ない。
  • 園長先生にエピペンを使うようなことはないからと断言されたが、その自信はどこから?掲示物の1つや2つで防げるなら、最初からこんな苦労はしていない。何か起こった時のために重症化しないための、死なないためのエピペンなのだから。死なないための物を常時携帯することの親の気持ちなんてわかってもらえない。わかっていない。
  • 「これで済んでよかった」「大事に至らなくてよかった」などと、先生方が言ったり思ったりすることは許せない。それはあくまで結果論であって命に関わる重大な事故だったのだから、家族が言うならともかく他人に言われたくない。私にとって裏を返せば「死ななくてよかったですね」と言われているようなもの。間違っている。そう思うような人がいる限り絶対に預けられない。ただ単に預かるということではなく、命を預かるのだから。息子は死ぬために園に行くのではない。
  • 息子が嘔吐したあと、気づいたらクラスから他児が消えていた。給食後はクラスで遊んで過ごしますと先生に聞いていた。明らかに息子が嘔吐したことにより避難させたのだろうが、親としては裕也がばい菌扱いされたようで悔しかった。感染症ならその動きは間違っていないが、先生方が息子に卵を摂取させ続けたことによる嘔吐なのに心情的に悔しくて情けなくてたまらなかった。
  • あの時、当日に怒っていればよかったのだろうかとも自分を責めたりする。あと一年お世話になるから、言い方悪いが人質のようなものだからと事故2日目の話し合いの途中までは我慢していたが、事の重大さをご理解して頂けていないことがわかり怒りが抑えきれなかった。息子を外に出すことが怖い、出来ることなら一生囲っておきたいと今回のことで思った。しかし現実的に無理とはわかっている。一年後には小学生になる直前なのに、一体どうしたらよいのかわからなすぎる。就学相談前のこの時期によくぞやってくれて・・・と恨んでしまう気持ちもある。先生が沢山いらっしゃっても今回のような有り得ないことが起こることを心底痛感した。学校に行かせたくない。
  • 今までのように教室に入って、先生方と話してなど考えただけで無理。不信感でいっぱい。不信感しかない。年度当初特定の子に息子が集中的に叩かれて、自宅で自傷行為をしていて相談した際も、取り合って頂けず不信感があった。給食中他児が嘔吐したものが裕也のトレイに入って裕也が食べられなくなった際も、そういうことがあること自体が有り得ない、何のための誕生日席?息子と他のお子さんとの間に先生いなかったの?と不信感を感じた。あれだけ私は悩んでいたのに、先生方にはご理解頂けていないことを痛感した出来事だった。
  • 色々考えても最後は辞めるしかないという考えに戻ってしまう。こんなどうしようもない自分もイヤだし、息子はまだ5歳でこれから先もこういうことがあるかもしれないと考えるだけで、死んでしまいたくなる。夫は普通の食事すら作れないので息子の食事なんて無理だし、息子の首を絞めて自分もと思ったりもする。もちろん実際にするわけではないが、自分のおかしさがホント嫌になる。
  • 息子が外に出ることにリスクがあることは勿論理解していた食材を間違って混入、調理器具を間違って、コンタミ・・・など色んな場面を想定していたが、今回のように35分も食べさせ続けるという有り得ないことが起こり、何も信じられなくなった。
  • 人間誰だってミスをするのだから、ミスがあるものとして考えが甘かった先生方が信じられない。給食室から来たものは大丈夫と考えることが信じられない。息子は一人で食べられるので、一人で食べさせることは良い。極端な話、息子の顔を一切見ていなくても、他児の食事介助をしていてトレイの中身を見ればわかる。「今日はチャーハン、卵・・・」そして、息子のトレイを見て同じ黄色の卵が大量に入っているのに気づこうよ、なぜ気づかない。コピー食品?栄養士に聞いてこよう・・・という気づきのなさにショック。掲示物で防げるものではない。掲示物があったって、最後は先生の意識の問題。
  • 先生方が食物アレルギーを軽く見られていたことはショックだし、そういう先生方を見抜けず息子を預けていた自分にも腹が立って仕方ない。情けない。悔しい。他園は食物アレルギーに責任持てないのでといくつも断られた。食物アレルギーが理由で2年前こちらに入る際も非常に不愉快な思いをした。色々暴言を吐かれ、アレルギーの書類に慣れている大病院の看護師さんが驚くような文書(入園をドクターストップしてくれという内容)も、園から病院に出された。しかし最後は受け入れて頂いた。この2年、園で親子共に沢山成長させて頂いて感謝の気持ちでいっぱいだったが、今回のことで全てがもろく崩れたかんじがして悲しい。やりきれない。ここに入園させたことは間違いだったのか。

 

事故に関する記事をアップするにあたり迷いもありました。あの時の様子が蘇ってきて、首元を締められるような苦しさを感じます。

しかし、事故後の対応の悪い例として知って頂くことが新たな事故を防ぐと信じています。コメント・ご批判・詮索等はご遠慮くださるよう切に願います。 

 

  

 

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